小手指に伝わる日本武尊ヤマトタケルの足跡

当社の正式名称は物部天(もののべてん)神社(じんしゃ)國渭(くにい)地祇(ちぎ)神社(じんじゃ)(てん)満天(まんてん)神社(じんしゃ)です。

物部天神社、國渭地祇神社は日本武尊(やまとたけるのみこと)がご東征(とうせい)の際に、創建されました。

 

日本武尊は日本を一つにまとめるための旅に出ます。この地に赴く前に埼玉県狭山市堀兼(ほりがね)に行きます。

日本武尊が堀兼に参りまして、水を得るために井戸を掘りましたが、“掘っても掘っても水が出ない。掘りかねた。”それが“堀兼の井”です。

そこへ「富士山の方向へいって水を得なさい。」とおじいさんから教えられました。

おじいさんと一緒に来た場所が、“御手洗(みたらし)()”です。現在、当社の飛び地境内地になっております。

御手洗の井から湧く清水(きよみず)でのどの渇きを潤されます。

 

 

 

 

 


日本武尊は、“清らかな水が溢れる、豊かな恵みに満ちたこの土地に神様をまつろう”と考え、物部(もののべ)天神(あまつかみ)國渭(くにい)地祇(くにつ)(かみ)をおまつりしました。

 

 

 

 


そして、桜の木を一本植えられます。“(みこと)(ざくら)”と優雅な名前が付けられた山桜です。

清水を得て、再び旅へと進む気力を取り戻した日本武尊(やまとたけるのみこと)は、進む方向へと、こてをかざします。“小手指(こてさし)”の由来です。

 

さて、ここまで案内したおじいさんですが、案内した後に去っていきます。

おじいさんが去っていった方向の土地を、“(むかいの)(おか)(現在の向町(むかいまち)())”と呼ぶようになりました。

 

日本武尊が創建(そうけん)されたと称する神社は多くありますが、小手指には神社だけでなく、町全体に足跡が伝わっていることが貴重だと思います。

 

 

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