北野天神社 社務所
〒350-1147
埼玉県所沢市小手指元町3丁目28-44
TEL 04-2948-0653
FAX 04-2948-0653
c 2019 Kitano Tenjinja

お知らせ


日時 「令和7年2月広報ところざわ」訂正


「令和7年2月広報ところざわ」において、訂正がございます。

「走って知る所沢~所沢シティマラソンハーフコースをたどる~」の中で、北野天神社が取り上げられています。『平安時代からあったといわれる神社です。』とありますが、これは誤りです。



景行天皇40年に日本武尊によって創建されたと伝えられております。平安時代に編纂された延喜式神名帳にも、神社の名前が記載されております。



所沢市が発行している新聞のため影響力があり、誤った歴史が広まるのを危惧しての投稿です。正しい由緒を知って、楽しく地元の歴史を学び、運動していただければ幸いです。



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当社創建にも関わる【小手指に伝わる日本武尊(ヤマトタケル)の足跡】



当社の正式名称は物部天神社・國渭地祇神社・天満天神社です。物部天神社、國渭地祇神社は景行天皇40(110)年日本武尊がご東征の際に、創建されました。



日本武尊は日本を一つにまとめるための旅(東征)に出ます。この地に赴く前に埼玉県狭山市堀兼に行きます。日本武尊が堀兼に参りまして、水を得るために井戸を掘りましたが、“掘っても掘っても水が出ない。掘りかねた。”それが“堀兼の井”です。

そこへ「富士山の方向へいって水を得なさい。」とおじいさんから教えられました。おじいさんと一緒に来た場所が【御手洗井(みたらしのい)】です。御手洗の井から湧く清水でのどの渇きを潤されます。現在でも、当社の飛び地境内地に御手洗の井はございます。



日本武尊は、“清らかな水が溢れる、豊かな恵みに満ちたこの土地に神様をまつろう”と考え、【物部天神社】と【國渭地祇神社】をおまつりしました



そして、社前に桜の木を一本植えられます。【尊桜(みことざくら)】と優雅な名前が付けられた山桜です現在も春には美しい花を咲かせます。



清水を得て、再び旅へと進む気力を取り戻した日本武尊やまとたけるのみことは、進む方向へと、こてをかざします。【小手指(こてさし)】の由来です。



さて、ここまで案内したおじいさんですが、案内した後に去っていきます。

おじいさんが去っていった方向の土地(小字)を、【向岡(現在、向町田)】と呼ぶようになりました。



「日本武尊が祈願した。」と称する神社は多くありますが、小手指には神社だけでなく、町全体に足跡が伝わっていることが貴重だと思います。