ご由緒
御祭神と御神徳
物部天神社
御祭神 櫛玉饒速日命
延喜式内社。日本武尊が御東征の折に創建されました。
櫛玉饒速日命は物部氏の祖先神であり、『古事記』『日本書紀』では、
交通・航空安全、勝運上昇の神として信仰を集めています。
國渭地祇神社
御祭神 八千矛神 (大国主命 )
延喜式内社。
物部天神社と同じく、日本武尊が創建されました。天神に対して、
八千矛神は大国主命ともいわれ、国づくりを行い、人々の生活を豊かにした神様です。
家運隆昌、商売繁盛、良縁祈願の神です。
天満天神社
御祭神 菅原道真公
一条天皇の勅命により、坂東の鎮護として、京都の北野天満宮から関東地方以東では初めて御霊が勧請された「坂東第一北野天満宮」です。 そのため、学業成就・合格祈願・技芸上達だけでなく、厄災を祓い退ける厄除けの神としても信仰をあつめています。
ご由緒
社名は、正式には
この三社を合殿に祀るところから、総称として北野天神社と呼ばれています。
物部天神社・國渭地祇神社は、景行天皇の御代
天満天神社は、長徳元年(一条天皇の御代)に、菅公五世の孫、武蔵国司 菅原修成が勅命を奉じて、京都の北野天満宮より菅公の御分霊を関東地方以東で最初に勧請しましたので、「
源頼義・義家公が奥州追討の宿願成就のため、境内に総社を建立しました。
建久6年(1195)9月19日に源頼朝公が正八幡宮を勧請し、社殿を全て修造し、新たに延喜式内の諸神を祀った諸神堂を建立しました。この時の大宮司は上毛野元重、社領は頼朝公より二百貫文増加され、合わせて二千二百貫文となりました。
建武・延元(1334~1340)の戦乱にて兵火に罹り、延文元年(1356)足利尊氏が境内の諸社を再建しましたが、再び戦乱により廃燼に化してしまいました。
その後、前田利家が社殿を再興。菅原道真公御自筆の法華経、宗近の太刀、黄金200枚を献納し、梅1本を献裁しました。「
天正19(1591)年、徳川家康より、朱印地六十石を賜り、境内に桜の木を1本植えられました。家康は宮司の栗原右左衛門を召出し、伊勢守(社寺を管理する神官)に任じました。
慶長13(1608)年には大久保石見守が総社を造営しました。境内も現在よりはるかに広く、天保(1836)年間に描かれた「
明治34年3月、埼玉県でも有数の古社である事から県社に列せられました。
本殿の社額は
著名な方のご参拝も多く、日本国内初の飛行に成功した徳川好敏氏、思想家の徳富蘇峰氏、東久邇宮稔彦殿下などのご来社を賜り、お写真や参拝名簿にお名前が残されております。