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諸神宮 |
文子天神社
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八雲神社(天王様) |
延喜式内3132座の神々(諸神)をお祀りしている全国的にも珍しい"式内社の総社"です。源頼朝が「諸神堂」という名前で創建したものを徳川家光が「諸神宮」と改称しました。境内の建物の中でも一際古く、近年の調査で安土桃山時代の木材が使われていることが分かっております。
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菅原道真の乳母である多治比文子様をおまつりしています。所沢市ではお蚕さまの神として、はた神様とも呼ばれます。慶長19(1614)年7月16日(旧暦)、文子様が鎮まる台座より江戸初期には養蚕の神として文子様をおまつりしていたことが分かっています。所沢市最古の養蚕の記録です。
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須佐之男尊をお祀りしております。毎年7月14日の宵宮には境内に洒落の描かれた「地口絵」や竹灯籠が並べられます。 翌15日の祭日には疫病除け、無病息災を祈る八雲祭が斎行されます。神社の中にはお神輿と獅子頭が祀られております。
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稲荷社 |
石宮神社 |
小手指神社・航空神社 |
五穀豊穣、商売繁盛にご利益があるとされる宇賀美玉神をお祀りしております。「お稲荷様」とも言われ、広く信仰されております。
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寛保三年夏に創建されました。ご祭神は大己貴神 (大黒様)、少彦名命、八重垣大明神(伴部安崇)です。伴部安崇は、跡部良顕、正親町公通に垂加神道を学んだ神道家です。社額は白川資訓王の書です。明治年間に水天宮を合祀しました。
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社殿は航空神社のものです。お社を共にする相殿として、現在は小手指神社と航空神社をおまつりしています。
航空神社は、天照大御神・神武天皇・明治天皇、陸軍航空隊の御霊4956柱をおまつりします。
小手指神社は、戦後の混乱より落ち着きを取り戻した昭和30年頃より当所小手指・北野・北中・北打越及び西所沢・上新井地区の西南の役以降大東亜戦争に至るまでの戦没者を合祀しております。
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北野天神社の史跡と樹木 |
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尊桜 |
尊桜の歌碑 |
力石 |
日本武尊が植えられたと伝えられています。種類は山桜です。 根や株から芽がでる蘖を四度くり返しています。
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市指定文化財 所沢市内最古の歌碑。享和2(1802)年に建てられました。 建立者は所沢の倉片孝順、江戸の医師 池谷紀廸が詠んだ和歌が刻まれています。
「そのかミや 移うへけん むさしのに にゐはりやまの 桜ひと木を」と詠まれています。
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江戸時代末期より明治初期まで関東各地で力を試したり、記念として奉納されました。石に霊力がつくという思想が基礎にあり、これを奉納する事により神の感応を知る一種の石占です。
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澤田泉山 歌碑 |
宗良親王御在陣の石碑 |
糸桜の碑 |
日本最大の寺子屋をつくった埼玉の賢人「澤田泉山」の偉業を讃えて門弟2000余人が建てた碑です。他に、境内には泉山が筆を執った碑が2基あります。
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南北朝時代、『太平記』にも記される武蔵野合戦において、後醍醐天皇の皇子・宗良親王は、当社に陣を張り、『君の為 世の為 何か惜しからむ 捨てて甲斐ある 命なりせば』と和歌を詠ぜられました。石碑は、宗良親王の母・二条為子と血の繋がりがある昭憲皇太后宮大夫の入江為守(冷泉家)によって揮毫されました。
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徳川家康公が天正19年に参拝記念として植えたとされる糸桜(別名:枝垂桜)の碑です。糸桜は残念ながら無くなってしまいましたが、この碑の横に美しい花を咲かせていたという事です。
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大納言梅 |
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天正18年。大納言前田利家公が、戦乱の世に社殿を再興した時に、境内に献裁した梅です。利家公は菅原道真公の後裔を名乗っており、家紋は梅鉢です。
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