|
|
|
諸神宮 |
文子天神社
|
八雲神社(天王様) |
延喜式内3132座の神々をお祀りしています。社伝によると、源頼朝が「諸神堂」という名前で創建したものを徳川家光が「諸神宮」と改称したとされています。
|
菅原道真公の乳母であった多治比文子という女性をお祀りしています。おそらく関東では北野天神社でのみ、文子様をお祀りしております。 養蚕の神様としても信仰され、繭や裁縫の奉納が多くされました。女性と子供の守り神としても信仰を集めております。
|
須佐之男尊をお祀りしております。毎年7月14日の宵宮には境内に洒落の描かれた「地口絵」や竹灯籠が並べられます。 翌15日の祭日には疫病除け、無病息災を祈る八雲祭が斎行されます。神社の中にはお神輿と獅子頭が祀られております。
|
|
|
|
|
稲荷社 |
石宮神社 |
小手指神社(航空神社) |
五穀豊穣、商売繁盛にご利益があるとされる宇賀美玉神をお祀りしております。「お稲荷様」とも言われ、広く信仰されております。
|
寛保三年夏に創建されました。ご祭神は大己貴神(大黒様)、少彦名命(えびすさま)、八重垣大明神(伴部安崇)です。伴部安崇は、跡部良顕、正親町公通に垂加神道を学んだ神道家です。社額は白川資訓の書です。明治年間に水天宮を合祀しました。
|
終戦後入間市豊岡の航空士官学校にあった「航空神社」を北野天神境内に移し慰霊祭が行われていましたが、その後自衛隊の奈良幹部学校へ碑となって移され、以後地域の日清日露以降の戦没者を慰霊しています。所沢の航空史と戦争の歴史を伝える神社です。
|
|
北野天神社の史跡と樹木 |
|
|
|
尊桜 |
尊桜の歌碑 |
力石 |
日本武尊が植えられたと伝えられています。種類は山桜です。 根や株から芽がでる蘖を四度くり返しています。
|
市指定文化財 所沢市内最古の歌碑。享和2(1802)年に建てられました。 建立者は所沢の倉片孝順、江戸の医師 池谷紀廸が詠んだ和歌が刻まれています。
「そのかミや 移うへけん むさしのに にゐはりやまの 桜ひと木を」と詠まれています。
|
江戸時代末期より明治初期まで関東各地で力を試したり、記念として奉納されました。石に霊力がつくという思想が基礎にあり、これを奉納する事により神の感応を知る一種の石占です。
|
|
|
|
|
澤田泉山 歌碑 |
宗良親王 歌碑 |
糸桜の碑 |
日本最大の寺子屋をつくった埼玉の賢人「澤田泉山」の偉業を讃えて門弟2000余人が建てた碑です。他に、境内には泉山が筆を執った碑が2基あります。
|
碑に彫られてある歌は、後醍醐天皇の皇子、宗良親王が足利軍との戦いで詠んだものです「君の為世のため何か惜しからむ 捨てて甲斐ある命なりせば」と詠んで将兵の士気を鼓舞したといわれています。
|
徳川家康公が天正19年に参拝記念として植えたとされる糸桜(別名:枝垂桜)の碑です。糸桜は残念ながら無くなってしまいましたが、この碑の横に美しい花を咲かせていたという事です。
|
|
|
|
|
大納言の梅 |
|
|
天正18年。大納言前田利家公が、戦乱のため灰燼に化してしまった社殿を再興した時に、境内に献裁した梅です。前田家の家紋は梅鉢です。
|
|
|