北野天神社 社務所
〒350-1147
埼玉県所沢市小手指元町3丁目28-44
TEL 04-2948-0653
FAX 04-2948-2572
c 2019 Kitano Tenjinja

所沢の航空神社とは

所沢の航空神社こうくうじんじゃは昭和12年に創建された慰霊と航空安全のための神社です。
空の安寧を祈るとともに、所沢市の航空史、戦争の歴史を伝えております。

御祭神

主祭神 天照大御神 神武天皇 明治天皇

配祀 陸軍航空隊の殉職者並びに戦没者4956柱

御社殿

伊勢神宮及び武蔵一宮氷川神社の御用材を以て造営されました。

ご由緒と奉遷ほうせん

 航空神社は、日本初の公式飛行に成功した徳川好敏とくがわよしとしの宿願により、昭和12年、所沢陸軍飛行学校に建立されました。
主祭神として、天照大御神、神武天皇、明治天皇、併せて、航空発展の途上に一命を捧げた航空殉職者と戦争で尊い犠牲となられた4956柱の英霊をおまつりしております。社殿は、伊勢神宮と武蔵一宮氷川神社の御用材より作られています。 大正6年には北野天神社宮司が斎主となり、所沢飛行場(現在の航空公園)で航空殉職者の慰霊祭をしていたことが祝詞より分かっております。 爾来、所沢陸軍飛行学校、陸軍士官学校分校、入間市豊岡(昭和天皇が行幸したことによりしゅうだいと名付けられる)の陸軍航空士官学校の航空神社、及び、所沢陸軍航空整備学校の建空神社の祭祀を司って参りました。 昭和20年9月3日、入間市修武台の陸軍航空士官学校にあった航空神社が、進駐軍の接収を避け、命懸けで当社神域に遷座されました。航空神社の例祭は東久邇宮殿下のご臨席を賜り、音楽隊の吹奏を行い、「航空神社の歌」までできるなど盛大に斎行されました。 しかし、昭和40年11月3日に諸般の事情により奈良の航空自衛隊幹部候補生学校に軍関係の霊位牌や霊名簿が奉安される事となりました。残されたご祭神は相殿する小手指神社の御霊みたま(地元小手指地域の戦没者)とともにお祭りしておりました。 奈良の航空自衛隊幹部候補生学校に奉案された霊位牌と霊名簿は、入間基地の修武台記念館が設立され整備も着々と進んできたのを機に、昭和63年に奈良基地から入間基地の修武台記念館にお移りになられました。 歴史の大波に翻弄された数奇な運命を辿りましたが、令和6年、徳川好敏氏の云う「因縁」、菅原道大氏の云う「奇縁」、また、その御縁を繋げて下さった皆様の力強いご尽力により、御霊が北野天神社内航空神社にお戻りになり、再び例祭を斎行さいこうする事となりました。 徳川好敏氏の願いは航空神社の「永久崇祀」です。大切に御霊をお祭りし、歴史を伝えて参りましょう。

航空神社と北野天神社(物部天神社)の繋がり

 北野天神社の正式名称は物部天もののべてん神社じんしゃ國渭くにい地祇ちぎ神社じんじゃてん満天まんてん神社じんしゃです。物部天神社は延喜式えんぎしき神名帳じんみょうちょうにも記載される古社(式内社)で、平安時代以前より当地に鎮座しております。 祭神は、古代、武蔵國むさしのくに入間郡いるまぐんの郡司であった 物部氏の祖先神である櫛玉饒速くしたまにぎはやひのみこと をおまつりしております。 饒速にぎはやひのみことは『古事記』、『日本書紀』にも登場しますが、特に『先代旧辞本せんだいくじほん』には、 「あめの磐船いわふねに乗りて、大虚空おおぞら翔行かけめぐり…」とあり、 あめの磐船いわふねという空飛ぶ乗り物に乗って、日本やまとのくにに降りてこられたことが伝えられています。この故実より、航空の神としても崇敬されます。 奇しくも、饒速にぎはやひのみことが鎮まるこの所沢市に日本初の飛行場が出来まして、また北野天神社の格式が式内社・県社であるため、航空神社のさいしゅとなりました。宮司家は創建された当時から今日にいたるまで祭祀を司り、御霊を大切にお祀りしております。

大正4年5月に河野長敏初代気球隊長が撮影、奉納された
フランスのモリス・ファルマン式飛行機18号の写真



大正8年にフランスのフォール大佐をお招きした初代航空本部長であった
井上幾太郎陸軍大将が大正11年に揮毫された西参道鳥居建設記念の石碑


神 社 移 転 願
入間郡豊岡町元陸軍航空士官学校内鎮座
庭内社  航空神社

右神社は連合軍の進駐に依り御神威の保全と祭祀の厳修とを期し度
所澤町大字北野県社物部天神社國渭地祇神社天満天神社境内神社として同所ヘ移転ノ儀
御許可相成り度く此の段願い奉り候也

昭和二十年九月三日
右代表
陸軍航空士官学校長男爵 徳川好敏
社司          栗原良介
県社  物部天神社
    國渭地祇神社
    天満天神社 氏子総代
            近藤長吉

航空神社移転願

昭和32年 航空神社大祭にて 東久邇宮殿下                  航空幕僚長 佐薙毅氏

航空神社のこれから

現在、時代に翻弄され幾度も奉遷ほうせんされた御神霊ごしんれいは北野天神社境内けいだい・航空神社に戻られて、静かにお鎮まりになられています。 敗戦直後、進駐軍がやってくる中で軍施設の校内神社こうないじんじゃを受け入れるという事は、並大抵の事ではなく、命がけの覚悟がいりました。 そういった歴史を踏まえ、先代宮司は「航空神社は静かに、大切にお祀りしなさい。」とよく申しておりました。 その言葉通り、現在まで遺族の方々・神社役員、地域の氏子さんや心を寄せて下さる崇敬者さんと共に、丁寧に祭祀さいしを続けてまいりました。  航空神社は慰霊と航空安全のために創建された神社です。航空神社は所沢市の戦争の歴史を背負っており、所沢市に"二つ"とあってはいけません。  所沢市の航空史において、戦争による悲しく尊い犠牲と当時の人々の深い想いは、伝えていかなくてはならないものです。 かけがえのない歴史が塗り替えられることの無いように、大切にお祀りしましょう。

航空神社の歌

作詞 航空神社奉賛会
作曲 航空音楽隊長 松本秀喜

1, 大空に
命ささげた 人々を
まつる社の 尊さよ
君をたたえて もろともに
心ゆくまで 語りましょう
遠いあの日の 思い出を
2, 玉垣に
翼あこがれ 今も尚
忘れな草が 咲いている
心ゆくまで 歌いましょう
あの喜びも 悲しみも
3, 青空に
君のみ心 うけついで
銀の翼が とんでいる
父を慕って 僕もまた
強く明るく 生きましょう
このみ社の み恵みに