お知らせ
白旗塚・浅間神社 山開き
日時 7月1日㈫
●駐車場隣に鎮座する「白旗塚・浅間神社石碑前」にて山開きの神事を行います。
●どなたでも参列、お参りできますので、興味のある方はどうぞお越しください。
●なすやきゅうりをお供えする習わしがありますので、お上げいただければ幸いです
【小手指原古戦場(こてさしがはらこせんじょう)の歴史】
小手指原古戦場は『太平記(たいへいき)』ゆかりの地です。数々の激戦が交わされました。小手指には多くの史跡が残っております。新田の軍勢が忠誠を誓った「誓詞橋」、源氏の白旗を立てて士気を高めた「白旗塚」。「椿峰」は新田義貞が椿の枝を折り、昼食をしたという箸立て伝説があります。北野天神社所蔵の兜の装飾品である大鍬形は椿峰から出土しました。形状、出土地からみても、その折のものと推測されております。
【白旗塚・浅間神社山開きについて】
「白旗塚・浅間さま」は、歴史的な合戦を見守ってきた小手指原古戦場にそびえ立つ由緒ある史跡です。古墳や富士塚としても崇敬を集めています。しかし、所沢市の公園化事業に伴い、”宗教物”とみなされた石碑や祠(ほこら)等は撤去せざるを得なくなりました。
この地に続いてきた文化や歴史を守らなくてはならないと考え、地元の有志の方々が、境内の中でもご縁の深い宗良親王の石碑と背中合わせになる形で、石碑と祠(ほこら)を遷座し、立派に整えられて鎮座しております。
北野に住む方々にとって、7月1日の山開きは年中行事として大切にしてきた習わしです。この温かい記憶を風化させないためにも、北野天神社でお祭りを続けて参りますので、皆様からのお力添えを何卒宜しくお願い申し上げます。
【白旗塚の小字、富士塚】
白旗塚がある住所は、所沢市北野、小字は富士塚と言います。
富士山の厳かな姿は古代から自然崇拝の対象となっていました。
白旗塚のことを浅間様とも言いますが、浅間神社(せんげんじんじゃ)は富士山を信仰する神社のことです。
富士山に登ることは厳しい修行に耐える大変なことですが、小さい山、つまり富士塚に上ったことで、富士山に登るのと同じだけの霊験(れいげん)や御利益(ごりやく)があるといわれてきました。
富士講(ふじこう)が流行る江戸後期以前からあった白旗塚は、当地の富士信仰やその伝播を語る上でも大変貴重です。(市内で有名な荒幡富士は明治17年に村の統一を図るために築かれました。)
そのため、富士信仰の根拠でもある石碑と祠が、白旗塚から撤去されてしまうことは、公園化を進める行政の都合上、宗教物は置けないという、やむを得ない理由かもしれませんが、令和まで残ってきた信仰や地元の習わしを途絶えさせた損失は以後大きいと考えます。
【宗良親王(むねながしんのう)御在陣の石碑】
南北朝時代、『太平記』にも記される武蔵野合戦において、後醍醐天皇の皇子・宗良親王は、当社に陣を張り、『君の為 世の為 何か惜しからむ 捨てて甲斐ある 命なりせば』と和歌を詠ぜられました。
神社の鎮座地(ちんざち)は、南朝が開かれた奈良県吉野になぞらえ、所沢市北野小字は吉野といいます。
宗良親王御在陣の石碑は、宗良親王の母・二条為子(にじょういし)と血の繋がりがある昭憲皇太后宮大夫の入江為守(冷泉家)によって揮毫されました。